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生坂村の紹介

地勢・気候 | アクセス | 沿革 | 特産品の紹介 | 犀竜泉小太郎の伝説 | 村勢要覧 | 統計情報

生坂村は、長野県の中ほどに位置する東筑摩ひがしちくま郡の北西部にあり、総面積39.05平方キロメートルと、東京都23区の江東区とほぼ同じ大きさで、長野県の市町村の中では5番目に小さな村です。

地勢・気候

生坂村の面積は39.05平方kmで、東西に5.4km、南北に12.2kmあります。 役場所在地は、東経137度55分、北緯36度25分、海抜519mです。

県庁所在地の長野市までは約50km、松本市までは25kmの距離で結ばれています。

村内は山々が重なり合い、このやまなみの間を、北アルプスに源を発する犀川さいがわが北流し、沿岸の段丘地に水田、畑が散在しています。

渓谷美の山清路、 雄大な大城・京ヶ倉の山並み、一日の寒暖差によって発生し、柿やぶどうなどを育む川霧や、スカイスポーツ公園から望む雲海など、水辺と里山が織りなす山紫水 明の豊かな自然に恵まれています。

年間の平均気温は11.2℃と県内では比較的温暖です。
冬場の降雪量はそれほど多くありませんが、12月~3月にかけては、最低気温がマイナス10℃を下回る日もあります。
夏は日中35度を超える日もありますが、朝夕は25度以下になり、涼しく過ごしやすい気候です。年間の降水量は1,000mm程度と比較的少なめです。

概要

    村章
  • 役場所在地:
     長野県東筑摩郡生坂村5493-2
  • TEL:0263-69-3111
  • FAX:0263-69-3115
  • E-mail アドレス:
     soumu@vill.ikusaka.nagano.jp
  • 総面積:39.05㎢
     東経137度55分 北緯36度25分
  • 村 花:ツツジ
  • 村 木:カシワ
  • 特産品:
     巨峰 灰焼きおやき しいたけ 干し柿
     各種農産物加工品

生坂村へのアクセス

自動車でのアクセス

東京方面から・・・中央自動車道または関越自動車道―上信越自動車道を経て、安曇野インターまたは麻績インター下車、安曇野インターからは国道19号線を長野方面に向かっていただき約20分、麻績インターからは国道19号線 経由で約30分。

大阪方面から・・・名神高速道路の小牧JCから松本方面、安曇野インター下車。

新宿駅から・・・中央東線松本乗り換え、篠ノ井線明科駅下車、タクシーまたはバスにて当村へ。
東京駅から・・・あさまにて長野駅乗り換え、篠ノ井線明科駅下車。
大阪方面から・・・JR東海にて名古屋駅乗り換え、中央西線で松本駅乗り換え明科駅下車 。

高速バス・・・東京・成田空港、大阪・京都・名古屋、新潟などから松本バスターミナルおよび長野駅前までの高速バスが運行されています。

飛行機・・・札幌(新千歳空港・丘珠空港)および福岡空港から、信州松本空港へ。松本駅と空港を結ぶエアポートシャトルバスが運行されています。

村営バスをご利用される方

  • 生坂村では、国道19号線に沿って のぼり 村内各所~明科駅 ・ くだり 明科駅~村内各所 へ 村営バスを運行しておりますので、どうぞご利用ください。
  • また、土曜日につきましては一部運行を行っていない時間帯がありますので、ご確認 のうえご乗車ください。
  • 日曜・祝祭日は、運休しておりますのでご注意ください。
  • 詳しくは村営バスのページをご覧ください。

詳細な地図(googleマップ)へのリンクはこちら

生坂村の沿革

集落的形態から、生坂村は奈良時代の頃に国・県が定められた当時から存在していたと推測されます。
村内の下生坂八幡原はちまんばら遺跡では、縄文時代の住居跡の遺跡が発見されており、約7000年以前から、人々がこの谷に住んでいたことがわかります。

合併60周年記念式典
平成29年に行われた合併60周年記念式典

また、平安時代の延長五年(927年)にできた「延喜式えんぎしき」には、日置ひき神社(明治になって日岐ひき と改称)が載っています。古くは鎌倉時代から、安曇の豪族・仁科氏の勢力下にあり、その後、武田、小笠原、松本、堀田、水野、戸田氏と変遷してきました。

明治8年1月に小立野おだつの、下生野、上生坂、下生坂村が合併し、現在のもととなる生坂村が発足しました。この翌年に筑摩県から長野県にもなっています。
明治・大正時代を過ぎ昭和に入って間もなく、昭和28年に町村合併促進法が施行されたことにより、昭和32年3月31日、当時の陸郷りくごう村の一部、旧生坂村、広津村の一部の3村が合併し、新生坂村が発足し現在に至ります。

生坂に伝わる犀竜泉小太郎の伝説

信濃の国有明の里由来記より

「信濃の国有明の里由来記」によれば、大昔、松本・安曇の平らは湖であったという。ここに住む犀竜と白竜の間に生まれた泉小太郎は、諏訪大明神の化身である母犀竜に乗って山清路の岩山を乗り割り、千曲川筋から越後の大海まで水を流したために、松本・安曇の平らは人の住む平野となったという。

犀竜泉小太郎の伝説より

「犀竜泉小太郎の伝説」 人皇十二代景行天皇のころまでは、このあたりの平地は山々の沢から落ちる水をたたえた湖だった。ここに犀竜というものが住み、東の高梨という所の池には白竜王というものが住んでいた。二人の間には子供ができて鉢伏山で生まれた。
その名を日光泉小太郎といい放光寺山(松本市城山)の辺りで成長した。泉小太郎が大きくなるにつれて、母の犀竜は自分の姿を恥ずかしく思い湖に隠れてしまった。小太郎は恋しい母の行方を訪ねまわり、熊倉下田の奥の尾入沢(島内平瀬と田沢の堺)でめぐり会うことができた。母犀竜は「私は諏訪大明神の化身である。氏子を栄えさせようとして姿をかえたのだ。おまえは私に乗り、この湖を突き破って水を落として人の住める平地を作りなさい。」といった。
小太郎は尾入沢で犀竜に乗ったので、今もこの地を犀乗沢といっている。二人は、山清地(路)の巨岩や水内の橋の下(久米路橋)の岩山を突き破り、千曲川の川筋から越後の海まで乗り込んだ。これによって、犀乗沢から千曲川へ落ち合うところまでを、犀川というようになった。その後犀竜は、白竜王を訪ねて坂木の横吹というところの岩穴に入り、小太郎は、有明の里(池田町十日市場川会)に帰って住みつき、子孫は大いに栄えたという。